【聖嶺鳳学園物語】1章試し読み・後編

聖嶺鳳学園物語試し読みの後編です。
けたたましいブザーが鳴り響き、第二ターンが終了した。
静まり返った教室の正面で、プロジェクターの光が冷酷な現実を映し出す。
【第二ターン終了:感染者数 1】
その数字が表示された瞬間、教室のあちこちから息を呑む音が聞こえた。
ついに、潜んでいた怪物が牙を剥いたのだ。
誰もが互いを値踏みするように視線を彷徨わせる中、リョウだけは平然と、余裕の笑みを崩さずにいた。
(まあ、当然の結果か)
リョウの視線は自然と雨氷セイカへと向く。
彼女もまた、先ほどのターンで誰かしらと接触を持っていたはずだ。
インターバルの時間が始まると同時、リョウは迷わずセイカの元へと歩み寄った。
「調子はどうだ、セイカ」
「あら、天城君じゃない」
声をかけられたセイカは、焦る素振りを微塵も見せず、優雅に髪を払ってリョウを見つめ返した。
「感染者が、ついに現れてしまったな」
「……そうね。とうとう始まったのね」
「もし、お前が医療陣営の人間だとしたら、今すぐ『特効薬』を使うか?」
リョウの探るような問いに、セイカは小さく首を横に振る。
「いいえ、使わないわ。何故なら、現時点では誰が感染したのか特定できないもの。無駄打ちは命取りよ」
「ゾンビの目処はどうだ?」
「ゾンビねぇ……。一体、誰が化け物なのかしら?」
クスッと微笑み、すっとぼけるセイカ。
その態度に、リョウはさらに揺さぶりをかける。
「第1ターンは感染者0だった。そしてこのターンで感染者が出た。このタイムラグには、論理的な納得がいく」
「……ええ、そうね。私が仮にゾンビ陣営だとしても、第1ターンから馬鹿正直に感染を広げたりはしないわ。つまり、第1ターンでゾンビが潜伏効果(能力温存)を使っていたのか、あるいは、この第2ターンで初めて新規の感染接触が起きたか……そのどちらかよ」
「なるほど。で、セイカは現時点で誰がゾンビだと思う?」
「……正直に言って、まだ分からないわ。手がかりが少なすぎるもの」
「そうだな。だが、ある程度目処を立てて行動しなければ、この学園では一瞬で敗北するぞ」
「ええ、分かっているわ」
二人の間に緊張感のある沈黙が流れかけたその時、背後から緊張感を削ぐような、軽薄な足音が近づいてきた。
「学園の王に雨氷、僕もその会話に混ぜてよ」
現れたのは、底の知れない笑みを浮かべた少年――三影ダイチだった。
「三影君……」
「……ダイチか」
セイカが警戒に目を細め、リョウはいつもと変わらぬ冷徹な声でその名を呼ぶ。
「ねぇ、単刀直入に聞くけどさ、誰がゾンビっぽい?」
ダイチは二人の顔を交互に覗き込み、邪気のない声を装って尋ねる。
「それはまだ分からないわ」
冷たくあしらうセイカ。しかし、ダイチはそれを予想していたかのように、楽しげに肩をすくめた。
「だよね~。けどさ、実は僕、もう医療の人間を『確保』してるんだ」
「ほぅ。誰だ、それは」
リョウが興味深げに片眉を上げる。
「1年の男子生徒Aだよ。だから僕は、万が一感染しても彼に直してもらえるってわけでね。仮に僕が今この瞬間、感染者だったとしても、次のターンで彼に特効薬を使ってもらえばいい。無敵だろ?」
「……なるほどな。合理的だ」
「ねぇ、その話、本当なのかしら?」
セイカが疑わしげに割り込む。
ダイチは「うん、本当だよ」と無邪気に頷いた。
「医療の人は大変だよね~。どこで特効薬を使うべきなのか判断が難しくてさ。僕が本当に感染しているかどうかも、外からは断定できないわけだし?」
「確かに、医療陣営の立ち回りは難しいだろうな。」
リョウが白々しい視線をセイカに送る。
セイカは一瞬、わずかに視線を泳がせた。
「え、ええ……そうね。難しそうね、本当に……」
「……へぇ。雨氷が他人を気にするなんてね」
ダイチの鋭い瞳が、逃さずセイカを捉えた。
「何よ。だから、誰がゾンビか分かりさえすれば、特効薬を使わせてあげられるわ」
「なるほどねぇ。ちなみに僕は『一般人』」
あっさりと自身の陣営を主張したダイチ。
その瞬間、リョウの目がかすかに細められた。
「で、僕たちの『学園の王』の陣営は何かな?」
「俺か?」
「うん。一応、参考までに聞いておきたいなぁ~?」
ダイチのねっとりとした視線がリョウに突き刺さる。
三人の間に、肌がひりつくような沈黙が流れた。
リョウはふっと口角を上げ、煙に巻くように言った。
「さあ、どうだろうな。ダイチ、お前には俺がどう見えている?」
「そうだね~……。僕個人としては、学園の王には、ぜひ『ゾンビ』でいてほしいな」
うへへと下品に笑いながら、挑発的に言い放つダイチ。
「はは、俺がゾンビか。それは面白い」
リョウは目を瞑り、低く笑った。
その二人の奇妙なやり取りを横で見ていたセイカの脳裏に、ある疑念が浮かび上がる。
(……もしかして、三影君は『狂人(ゾンビ陣営の人間)』? 一般人だとしたら、今の発言も態度も明らかにおかしいわ。まるで自分が狂人だと自白しているようなものじゃない……!)
「で、ダイチ。お前は次、誰と接触するつもりだ?」
リョウの問いに、ダイチは当然と言わんばかりに笑う。
「ん? 第1ターンに接触した相手……つまり男子生徒Aだよ。多分、他の人たちも、第1ターンと同じ相手と接触してやり過ごすと思うよ。……『医療』と『ゾンビ』を除いてね」
ダイチはニヤリと笑い、あえて全員への助言のような口ぶりでそう言った。
「まあ、それが一番妥当なセオリーだな。だが、どうだろうな。現実に感染者が出ているこの状況で、誰もが本当にお互いを信じ続けられるだろうか?」
「……さあね。どうだろう」
その言葉と同時に、インターバル終了のブザーが重苦しく鳴り響いた。
第3ターン 開始
「じ、時間です……先輩」
ダイチの後ろから、怯えた様子で男子生徒Aが合流した。
「そうだね。じゃあ、さっさと接触しちゃおうか」
ダイチはリョウとセイカの目の前で見せつけるように、男子生徒Aに向かって手を差し出した。
「は、はい……!」
支配されきっている男子生徒Aは、何も考えることなく、差し出されたその手を握ろうと手を伸ばす。
だが、その時――。
「やけにダイチは落ち着いているよな」
リョウの低く冷徹な声が、空気を切り裂いた。
その場にいた三人の視線が一斉にリョウに集まる。
彼の手元はポケットに入ったままだが、その瞳は、まるで罠にかかる獲物を冷酷に見下ろす猛禽そのものだった。
ダイチの動きが、一瞬ピタッと止まる。
「え? どういうことだい?」
ダイチは不機嫌さを隠しもせず、白々しく問い返した。
「なぁ、男子生徒A君。君はいつからダイチの『奴隷』になったんだ? 彼の言う通りに動いていれば、本当にこのゲームに勝てると信じているのか?」
その言葉に、男子生徒Aの手が、ダイチの手の数センチ前でぴたりと止まった。
「支配されているだけでは、この理不尽な学園では生き残れない。大事なのは、己の意志だ」
「え、ええっと……」
男子生徒Aの瞳に、激しい混乱と動揺が走る。
先ほどリョウから吹き込まれた「ダイチ=ゾンビ(囮作戦)」という疑惑が、脳内で一気に膨れ上がっていく。
「男子生徒A君。君は、僕を疑うのかい?」
ダイチの声が、一気に低くなった。
「い、いや……疑うとか、そういうわけでは……」
「じゃあ何?」
ダイチの態度が豹変した。
優しさの仮面が剥がれ落ち、狂気的な威圧感が少年を窮地に追い詰める。
「ぼ、僕は……このゲームに、勝ちたいです……!」
「じゃあ、僕の言うことに黙って従ってりゃいいんだよ!」
激昂したダイチが、男子生徒Aの胸ぐらを乱暴に掴み上げた。
「――っ! ひ、はい……っ」
圧倒的な恐怖に支配され、男子生徒Aは涙目で身を縮こまらせる。
その怯える姿を見て、ダイチは満足げにニヤリと笑うと、先ほどまでの凶暴さが嘘のように、優しく少年の髪を撫でた。
「いい子だね、君は。そうやって今後もずーっと、僕の奴隷でいるんだよ?」
(……コイツ、完全にサイコパスだわ……)
そのおぞましいやり取りを間近で見ていたセイカは、鳥肌が立つのを感じながら、ボソッと呟いた。
「じゃあ、学園の王にちょっとした邪魔はされたけど。……ほら、手を出しなよ」
ダイチが再び、傲慢に手を差し出す。
男子生徒Aは、恐怖に震える手を恐る恐る前に出した。
逆らうことなど、できないはずだった。
だが――少年の脳裏に、リョウの言葉がリフレインする。
『大事なのは、己の意志だ』
『もし、あいつがゾンビだったらどうする?』
カチリ、と少年の頭の中で何かが弾けた。
「……僕は、やっぱり君の奴隷なんて嫌だ!!」
男子生徒Aは叫ぶと同時にスマホを取り出し、画面の【特効薬使用】のボタンを狂ったようにタップした。
そして、間髪入れずに、ダイチの差し出された手を力任せに掴んだ。
「なっ……!? 何をやっているんだ、君は……!!」
ダイチが目を見開き、驚愕の声を上げる。
「はぁ、はぁ……! 僕は、僕の意志に従っただけだ! 君に支配されていたら、絶対に負ける……! だから、僕の直感で『特効薬』を使って、君を排除する!!」
肩で息をしながら、男子生徒Aはダイチの目を真っ直ぐに見据えて言い放った。
ダイチはしばらく信じられないものを見るように少年を睨みつけていたが、やがて、その顔から一切の感情が消え失せた。
「……バカな奴」
吐き捨てるようにそう言うと、ダイチは少年を突き放し、冷淡な足取りでその場から立ち去っていった。
「……頑張ったな、男子生徒A」
残された少年に、リョウが静かに声をかける。
「はい。……あ、ありがとうございます」
「この学園で生きていくには、誰にも支配されない強い心が必要だ。君もこれから、それをたくさん学べばいい」
「はい……!」
男子生徒Aは、自分を救ってくれた『学園の王』に、心からの信頼を込めた笑顔を向けた。
だが、哀れな少年は知る由もなかった。
ダイチに特効薬を使わせ、貴重な医療陣営の切り札を完全に「無駄打ち」させたこと。
そして、自分がダイチへの恐怖心から解放されたと信じ込んでいるその瞬間さえも――すべてはリョウが描いた、完璧な掌の上のシナリオ通りであるということを。
「さて、俺も誰かと接触を――」
次なる一手へ動こうとしたリョウの前に、新たな足音が二つ、近づいてくる。
現れたのは、緊迫した表情を浮かべた男子生徒BとCだった。
ゲームの天秤は、リョウの思惑通りに、さらに混沌へと傾き始める。
「よろしければ僕たちと、お二方で『接触』をしていただけませんか?」
話しかけてきたのは、男子生徒Cだった。
その背後には、どこか落ち着かない様子の男子生徒Bが控えている。
「私は構わないけれど……。あなたたち、まさか『感染者』じゃないでしょうね?」
セイカが値踏みするような冷たい視線を向ける。
そのプレッシャーに圧されたのか、男子生徒Bが自信なさげに視線を泳がせた。
「……そ、それはないと思います」
「何故そう言い切れるのかしら?」
「だって、僕は『医療陣営』だからね」
今度は男子生徒Cが、胸を張って自信満々に言葉を被せた。
「第1ターンで、僕は彼(男子生徒B)に『ワクチン』を接種しているんだ。第2ターンにそのワクチンの効果が発動している以上、彼が感染者であるはずがない。つまり、彼と接触しても安全だっていう証明さ」
「……なるほどね。あなた、自分が医療陣営だとカミングアウトするわけね」
セイカは細い指先を顎に当て、思考を巡らせる。
「そうさ。僕は正真正銘の医療。だから僕自身が感染しているわけもない。どうだい?」
「……だが」
それまで沈黙を守っていたリョウが、低く滑らかな声で割り込んだ。
「それすらも嘘で、君がワクチンを打ったと見せかけて、実は『潜伏』を使っていたとしたら? その場合、第2ターンで誰かと接触していれば、感染者は君たちのどちらか、あるいは両方ということになるが?」
鋭い指摘に男子生徒Cは一瞬だけ目を見張ったが、すぐに不敵な笑みを浮かべた。
「……そう言われると思ってたよ。だけど、最終的に誰を信じるかでこのゲームの行く末は変わる。お二人は、誰を信じますか?」
試すような男子生徒Cの言葉に、リョウとセイカは一瞬だけ視線を交わした。
残り時間は少ない。
リョウは小さく息を吐くと、男らしく手を差し出した。
「……いいだろう。なら、俺が男子生徒Bと接触しよう」
「良いの、天城君? この二人が嘘をついている可能性だって、十分に潜んでいるのよ」
「構わないさ。もし嘘をついていたら、次の結果発表で『感染経路』が全て白日の下に晒されるだけだ」
「……はぁ、そうね。なら、私は自称・医療陣営の男子生徒C君とね」
セイカも諦めたように手を差し出す。
その瞬間、男子生徒Cの口角が、誰にも見えない角度で醜くニヤリと吊り上がった。
四人はそれぞれ手を握り合う。
直後、衣服のポケットから4つの電子音が重なって響き、スマホに『接触完了』の通知が届いた。
「ありがとうございます、先輩方」
「ああ」
リョウは短く応じる。
「……ふふ、上手くいきました」
男子生徒Cはボソッと満足げに呟くと、用は済んだと言わんばかりにその場を後にした。
「ちょ、ちょっと待ってよ、C君……!」
置いてけぼりにされた男子生徒Bも慌ててその後を追い、特別教室の片隅には、再びリョウとセイカの二人だけが残された。
静寂が戻った空間で、リョウは窓の外に目を向けながら口を開いた。
「そろそろカミングアウトしても良いんじゃないか、セイカ」
「……何のことかしら」
「とっくに気付いているさ。お前が『ゾンビ陣営』だってことくらい」
セイカの身体が、一瞬だけ硬直する。
「何よ、急に……。根拠のない言いがかりはよして頂戴」
「しらばっくれても意味はないぞ、セイカ。俺にはすべてお見通しだ」
冷徹な、しかし確信に満ちたリョウの瞳に見下ろされ、セイカはついに観念したように深い溜息をついた。
肩の力を抜き、フッと自嘲気味に笑う。
「……ええ、そうよ。私は『ゾンビ陣営』。だけど、一体いつから? まさか最初から分かっていたなんて言わないでしょうね?」
「最初から分かっていたら、それはただのイカサマだ。俺が気付いたのは、インターバルでお前がしらばっくれた時さ。頑なに陣営を教えなかっただろう? 隠し事をする時の人間の目を見れば、大体の察しはつく」
「……くっ。すべてお見通しってわけ。じゃあ、さっきの彼……男子生徒C君は医療陣営だって言っていたけれど、あれは本当かしら?」
「ああ。おそらく本物だろうな」
「そう……。なら、彼を感染させることはできないわね。第3ターンになっても思うように感染を広げられなかったのは……マズいわ」
セイカの表情に焦りの色が滲む。
「だろうな。それに、味方の『狂人』が上手く感染薬を使えているかどうかも分からない。もし先ほどのターン、あるいは第1ターンで既に無駄に感染薬を消費していたとしたら、ゾンビ陣営は既に詰んでいるかもしれない」
「……どういうこと?」
理解が追いつかないセイカに、リョウは淡々と盤面を解説する。
「ゾンビ陣営が勝つには、最終的に一般人4人以上の感染が必要だ。現時点で公表されている感染者は一人。その一人が上手くワクチンを打っていない奴に接触できていればいいが、隔離されている可能性もある。だから、俺はさっきの彼との接触で『潜伏効果』を利用させてもらった。あいつが発症するのは、第4ターン終了の結果発表の時だ」
「……なるほどね。もし彼らの言う通りならゾンビ陣営の負けが決まる……」
「ああ、そういうことだ」
「待って」
セイカはハッと息を呑み、信じられないというようにリョウを見つめた。
「そこまで深くゾンビ陣営の勝ち筋を計算しているってことは……天城君、貴方も『ゾンビ陣営』なの?」
「ああ」
リョウは何の衒いもなく、あっさりと頷いた。
「何よ、それ! 最初から言って頂戴よ! そうすればもっと早くに連携して、上手く立ち回れたと思うのだけれど……!」
「そうかもしれないな。だが、このゲームの本質は『他人を信頼できるかどうか』だ。セイカ、お前がもっと最初から俺を信頼していれば、もっと早い段階で面白い手が打てたかもな」
「……そ、そうね。それは……悪かったわ」
正論を突きつけられ、セイカは少しだけお淑やかに俯いた。
彼女が珍しく落ち込む姿を見て、リョウは小さく笑う。
「まあいいさ。だがセイカ、お前は――」
リョウが言葉を紡ぎかけたその瞬間、無慈悲なブザーが鳴り響き、第3ターンが終了した。
プロジェクターに結果が映し出される。
【第3ターン終了:感染者数 2】
確実に増えている。
しかし、それ以上に教室を震撼させたのは、今までにはなかった冷徹なシステムアナウンスだった。
『――エントリーナンバー5、雨氷セイカ。特効薬により、脱落――』
「まさか……!?」
セイカは目を見開き、愕然とした。
すぐさま視線を巡らせ、教室の入り口付近に立つ男子生徒Cを鋭く睨みつける。
視線に気づいた男子生徒Cは、勝ち誇ったような下劣な笑みを浮かべていた。
「当然さ。君、あからさまにゾンビっぽかったからね。使わせてもらったよ、僕の『特効薬』をね!」
「っ……くそ! 一年生の癖に、生意気ね……!」
悔しさに唇を噛むセイカ。
そして、無情にも最後のインターバルが始まった。
「ご愁傷様。このゲーム、僕たち医療陣営の勝ちだ」
男子生徒Cは肩を揺らして笑いながら、ゆっくりとリョウに近づいてくる。
その目は完全に、格上の存在を引きずり下ろした万能感に酔いしれていた。
「……学園の王、天城リョウ。君も大したことないね。この調子なら、僕が君の代わりに『学園の王』になる日も近そうだ」
あからさまな挑発。
しかし、リョウは視線すら合わせず、ただ冷ややかに彼を無視した。
だが、横にいたセイカの怒りは収まらない。
「煩いわね……! 調子に乗るんじゃないわよ。あなた、もう切り札の特効薬は残っていないじゃない!」
「ハハッ! 僕が特効薬を使わなくたって、もう勝てる盤面なんだよ!」
「どういうことよ……!」
憤慨するセイカを、男子生徒Cは哀れむように見下ろす。
「今の結果を見ていなかったのかい? 感染者数は『2』だ。さっきの結果は『1』だった。つまり、学園の王と接触した男子生徒Bが感染したんだよ。だけどね、最終ターンで学園の王が必死に動いたところで、一人しか感染させられない。どう頑張っても感染者は合計3人。ゾンビ陣営の勝利条件である『4人』には届かないのさ。それに、もしもの時はもう一人の医療陣営が特効薬を使えば、学園の王、君を脱落させることだって容易いんだよ」
「……そう」
セイカは言い返しそうになった言葉を、喉の奥で飲み込んだ。
激昂していた彼女の瞳に、ふと冷徹な光が戻る。
目の前で大演説をぶっている哀れな一年生を、今度は見限るような目で見つめた。
(……この馬鹿、最も重要なポイントを完全に見落としているわ)
セイカは脳内で瞬時に現状を整理する。
もう一人の医療陣営――男子生徒Aは、さっき天城君に嵌められて、特効薬を狂人(ダイチ)に無駄打ちさせられている。
つまり、医療陣営の切り札はもうこの世に一枚も残っていない。
おまけに、この男は天城君が言っていた『潜伏効果』のタイムラグを計算に入れていない。男子生徒Bの発症は次のターン。
そして天城君がこの最終ターンでさらにもう一人を感染させれば、一気に形勢は逆転する。
(なら……ここは私が一芝居打って、この思い上がったガキを地獄に落としてあげるわ)
セイカはすっと表情を消すと、わざとらしく顔を覆い、その場に膝をついて嗚咽を漏らし始めた。
「うっ……うう……勝てると思ったのに……! この勝負で負けたら、私のSSPランクが、下がっちゃう……!」
「あははは! SSPランカーってのも大したことないね! 本当にこの調子なら、僕がトップを目指せるかも! あはははは!」
涙を流す先輩の姿に、男子生徒Cは完全に有頂天になり、歪んだ笑い声を上げながら、満足げにその場を去っていった。
「天城君……ゾンビ陣営、勝てるわよ」
男子生徒Cの姿が見えなくなった瞬間、セイカはケロッとした顔で立ち上がり、涙を拭ってリョウを見た。
その瞳には、先ほどまでの絶望など微塵もない。
「……嘘泣きか」
「当然でしょ。ああいう奴が一番ムカつくのよ。勝てる盤面だと思い込んだ瞬間に調子に乗るタイプ……絶対に、後悔させてやるわ」
「はは。セイカ、お前が脱落するのは退屈だが……これも想定内だ」
「ええ。私は特等席で、あのガキが絶望する顔を見守らせてもらうわ」
「ああ、任せておけ」
セイカは優雅な足取りで教室内の一端へと身を引いた。
無機質なチャイムが響き、最後のインターバルが終了する。
緊迫の、そして全てが決着する最終ターンが、今始まった。
「僕は……あの先輩に、特効薬を使ってしまった……。先輩がどこか疑わしくて…。いや、違う。僕は……学園の王に、まんまと嵌められたんだ」
最終ターンの開始を告げるアナウンスが流れる中、男子生徒Aは頭を抱え、先ほどの結果画面を思い出して絶望に打ちひしがれていた。
脱落のアナウンスが流れたのは、彼が特効薬を撃ち込んだ三影ダイチではなく、雨氷セイカという女子生徒だった。
そしてそれは、もう一つの特効薬が直撃したことによる事例。
おそらく、もう一人の医療陣営が、先ほどのターンで本物のゾンビの撃墜に成功したのだろう。
ということは――。
「もう、特効薬は残っていない……。なのに、先輩(ダイチ)はまだ生きている。感染は、ここから増えるかもしれない……」
自分が正義のヒーローとして放った一撃は、ただの空振りに終わった。
それどころか、貴重な医療陣営の切り札を一枚、完全にドブに捨ててしまったのだ。
思考が恐怖と後悔で塗り潰されていく。
少年は完全に心を折られ、教室内の一番暗い隅で、膝を抱えてうずくまった。
ヒタ、ヒタ、と。足音が近づいてくる。
「どうしたのかな? そんなところで蹲っちゃってさ」
頭上から降ってきたのは、聞き飽きたはずの、しかし今や悪魔の囁きにしか聞こえない、ねっとりとした声だった。
顔を上げると、案の定、ダイチが三日月のように目を細めてニヤニヤと見下ろしていた。
「僕は……あの人の掌の上で、踊らされていただけだったんですね……」
少年の自嘲混じりの呟きに、ダイチはわざとらしく首を傾げてみせる。
「ん? 何のこと? ああ、さっき君が僕に『特効薬』を使っちゃった件? 僕を化け物扱いして、最悪なボタンを押しちゃったアレのことかなぁ?」
ダイチはとぼけた口調を装いながらも、少年の傷口に容赦なく塩を刷り込んでいく。
「僕はもう……勝てない……」
「うん、勝てないね。まぁ、いずれにせよ僕の言う通りに従っていたとしても勝てなかっただろうけどさ。あはは!」
「うぅ……っ、うわぁぁん……!」
あまりの冷酷さに、男子生徒Aの目から大粒の涙が溢れ出た。
「あ~あ、泣いちゃったよ。みっともないなぁ。ねぇ、今からでも遅くないよ? 僕の奴隷に――」
「それだけは嫌だ!!」
少年の口から飛び出したのは、これまでにないほど、きっぱりとした拒絶の言葉だった。
その瞬間、ダイチの顔から一切の笑みが消え、底冷えするような真顔に変わる。
「ふーん。じゃあ、一生そこで蹲ってなよ。そのままマイナスポイントを抱えて脱落して、この学園から去ればいい。ま、そうなったら君は、本当の地獄を見る羽目になるんだろうけどね」
ダイチの声音が一段と低くなり、少年の心をじわじわと抉り始める。
「……じ、地獄……?」
「そう。知らないの? この学園の地を踏んだ者は、卒業するまで逃げることは許されない。例えゲームで誰かに嵌められたとしても、それを選び、信じてしまったのは君自身だ。すべては君の自己責任になる」
「……っ」
「学園に入学したのも自らの意志。その者が退学にでもなれば、多額の負債を抱えて、これからの人生を惨めに生きていくことになるんだよ。知らなかった? 本当に馬鹿だね」
「……そ、そんな……そんなの、あんまりだ……」
絶望のどん底に叩き落とされ、嗚咽する少年。
ダイチはフンと鼻で笑うと、興味を失ったように背を向けた。
「まぁ、僕は教えてあげたからね。こんなところで道草を食っているわけにはいかないんだ。そろそろ行くよ」
ダイチは軽快な足取りで、ターゲットである女子生徒Dの元へと歩き去っていく。
一人残され、ただ震えるだけの少年を、教室の端から冷ややかに見つめる視線があった。
「可哀想だけど……それがこの学園の絶対的な掟なのよ。恨むなら、他人じゃなくて、この学園に入学を決意した過去の自分自身を恨むのね」
脱落者となったセイカが、壁に寄りかかったまま、冷徹にぽつりと呟いた。
一方、ダイチは一人で戦況を伺っていた女子生徒Dの前に立ち、いつもの柔和な笑みを浮かべた。
「……あなた、さっきまで男子生徒A君と行動してた人よね?」
女子生徒Dが、警戒心を隠そうともせずにダイチを睨む。
「へぇ、よく知ってるね」
「この狂ったゲームで生き残るには、他人の行動を見ておかないと、誰が怪しいか分からないもの」
「そうだね。正しい判断だよ。で――単刀直入に言うけど、僕と『接触』してくれるかい?」
「……」
女子生徒Dは答えない。
当然の反応だった。
すでに最終ターン。ここで一度でも判断を誤れば、取り返しのつかない破滅が待っている。
「まぁ、そうなるよね。第4ターンだし、慎重になるのは当たり前さ。でも安心してよ。……実は僕、医療陣営の人間なんだ」
「……それ、本当?」
「うん。僕はあの男子生徒A君を、裏でずっと守ってきたんだよ。第1ターンで、僕は彼に『ワクチン』を使った。その彼は、第2ターンで女子生徒Aと接触している。仮にその女子生徒Aがゾンビだったとしても、ワクチンの効果で感染は起きない。うん、綺麗に繋がっているだろ?」
「……」
「その証拠に、さっき発表された全体の感染者数は『2人』だ。その中に、ワクチンで守られた彼が入ることは絶対にない。僕が医療陣営だからこそ、作れた盤面さ」
ダイチの流暢な説明を、女子生徒Dは冷ややかに聞き流し、一歩も引かなかった。
「……あなたが本当に『医療』なら、ね。」
「へぇ。意外と頭が切れるんだね。……ねぇ」
ダイチはふっと、少しだけ視線を落とした。
その顔から、先ほどまでの軽薄な笑みが完全に消える。
どこか寂しげで、静かな声音が彼女の鼓膜を叩いた。
「君ってさ、多分ゲームが始まってからずっと、周りを観察してたよね」
「……」
「誰が怪しいか、誰が誰と接触したか、そればかりを数えてた」
「そうしないと、この学園では死ぬもの」
「うん。正しいよ」
ダイチは小さく頷いた。
「けどさ」
ゆっくりと顔を上げ、ダイチは女子生徒Dの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「君、結局最後まで、誰のことも信じなかったよね」
その言葉は、刃のように彼女の胸を刺した。
女子生徒Dの表情が、僅かに揺れる。
「……信じたら、裏切られて感染するかもしれない。誰も信じないのが、一番安全よ」
「そうだね」
ダイチは彼女の言葉を否定しなかった。
ただ、酷く哀しそうな目で微笑む。
「でもそれって、“生き残る”じゃなくて、ただ恐怖から“逃げてる”だけじゃない?」
「っ……!」
図星を突かれ、女子生徒Dは言葉を詰まらせた。
そんな彼女を見て、ダイチは自嘲気味に苦笑する。
「まぁ、仕方ないか。このゲーム、他人を信じるより、疑う方が圧倒的に楽だもんね」
「……あなたは、違うの?」
「僕?」
ダイチは少しだけ考える素振りを見せ、それから遠くを見つめた。
「僕は、誰かを信じたかったよ。あの男子生徒A君のことだって、最初は本当に信じてたんだ」
女子生徒Dの瞳が動く。
「でも最後は、あんな風に疑われちゃった。……ちょっと、悲しかったな」
その顔は、これまでの狂気じみた雰囲気とは完全に異なり、ただゲームの理不尽さに傷ついた、一人の無力な人間のようにも見えた。
女子生徒Dの脳内は激しく困惑する。
何が本当で、何が嘘なのか。
目の前の男は、悪魔なのか、それとも哀れな被害者なのか。
「……あなた、本当に、医療なの?」
「どうだろうね」
ダイチはふっと、憑き物が落ちたように微笑んだ。
「でもさ」
彼はゆっくりと、右手を彼女の前に差し出した。
「最後くらい、誰かを疑わずに終わりたいな」
教室内が、水を打ったような静寂に包まれる。
女子生徒Dの視線が、差し出されたダイチの手へと落ちた。
この手を握れば、ゲームは終わる。
もし彼がゾンビなら、自分は感染して破滅するかもしれない。
だが――ここで手を握らなければ、自分は本当に、最後まで誰も信じられずに、孤独のまま恐怖から逃げ回って終わることになる。
それは、この学園で「死んだ」も同然ではないか。
「……」
女子生徒Dの指先が、微かに震える。
そして、彼女は決意したように、ゆっくりとダイチの手を握りしめた。
『――接触完了――』
スマホから無機質な通知音が響く。
「良かった。これで君も……」
ダイチはそれだけを言い残し、満足げにその場を後にした。
「ちょ、ちょっと待ってよ……!」
女子生徒Dの呼びかける声は、もう彼の耳には届かない。
歩き去るダイチの顔から、先ほどまでの「傷ついた少年の仮面」が剥ぎ取られていく。
廊下の陰に入り、誰の目も届かなくなった瞬間。
ダイチは口角を限界まで吊り上げ、このゲームが始まって以来、最もどす黒い、狂気に満ちた笑みを浮かべるのだった。
一方、リョウは自らの「最後の獲物」を狩るべく、再び女子生徒二人組の前へと歩み寄っていた。
「あ、天城さん……!」
「やぁ。さっきはありがとうな」
リョウはいつもの物腰柔らかい笑みを浮かべ、二人の警戒を解くように軽く片手を上げた。
そして、躊躇うことなく本題を切り出す。
「女子生徒A。よければ、俺と『接触』してくれないだろうか?」
「え、ええ。良いですよ」
『学園の王』という圧倒的な存在感に呑まれたのか、女子生徒Aが素直に手を伸ばそうとした、その時――。
「……ちょっと待ってください!」
隣にいた女子生徒Bが、血相を変えてその間に割って入った。
「どうした? 女子生徒B」
「この子……第2ターンで医療陣営だと言っていた男子生徒A君から『ワクチン』を接種されています。第2ターン終了後の全体の感染者数は1人。仮に私がその1人だったとしても、第3ターンでこの子(女子生徒A)に感染が伝染することはありません」
「……それが、何だ?」
リョウの静かな問いに、女子生徒Bは自らのスマホを握りしめ、覚悟を決めた目で彼を睨みつけた。
「私が第2ターンで接触をしたのは天城さん、あなたです。もし、あなたがゾンビだとしたら……」
「なるほど。俺がゾンビ陣営の人間だと、そう疑うわけか」
リョウは表情を一変させた。
底冷えするような冷徹な気迫が教室の空気を支配し、女子生徒Bを無言で圧殺せんばかりに迫る。
「そ、そういう可能性がある以上、この子があなたと接触するのは危険すぎます……! 私はもう、ゲームに敗北しても構わない……。でも、この子だけは、大好きな親友だけは絶対に勝たせてあげたいの……!」
「女子生徒B……」
自分を犠牲にしてまで守ろうとしてくれる親友の姿に、女子生徒Aの胸が熱く震える。
「美しい友情だな。……なら、女子生徒Aではなく、自分と接触しろというのか? 俺がゾンビだという確証もないままに」
「私はすでに感染しているかもしれません。それなら、まだ感染していない女子生徒Aとの接触は、絶対に避けていただきたいだけです!」
緊迫する三人の間に、パチ、パチ、パチと、高みの見物と言わんばかりの不快な拍手の音が響き渡った。
「素晴らしいじゃないか、女子生徒B! 自分を捨てて友人を守ろうとするその行動、実に感動的だ!」
「……誰よ、あなた」
現れたのは、勝利を確信したような傲慢な笑みを浮かべた男子生徒Cだった。
「僕は1年の男子生徒C。そして――」
一呼吸置き、彼は自らのスマホを掲げて声高らかに宣言する。
「このゲームの支配者、正真正銘の『医療陣営』さ」
「……」
リョウはただ沈黙し、冷ややかにその少年を見つめる。
「ほ、本当なの……?」
「本当さ。だって僕はさっきの第3ターンで、あの雨氷セイカをゾンビとして『特効薬』で撃退することに成功しているんだからね」
「そう……。なら、あの一緒に行動をしていた天城さんが、ますます怪しいってことになるわね……」
女子生徒Bは顎に手を当て、男子生徒Cの言葉をなぞるように思考を組み立てていく。
「その通り! 第1ターンで学園の王は雨氷と接触をしていた。僕はそれを見ているんだ。そしてその時の感染者数は0。おそらく、お互いが『ゾンビ同士』だったから感染が起きなかったのさ!」
「……かもな」
リョウがボソッと、他人事のように呟いた。
「じゃあ……じゃあやっぱり、天城さんが最後のゾンビじゃない!」
女子生徒Bの顔が驚愕と恐怖に染まる。
「そうだよ。学園の王がゾンビだ。だから女子生徒Aを守りたいなら、君が学園の王と強引にでも接触して、それ以上の感染を防ぐことだ。君が敗北する未来は変えられないかもしれないけど、大切な友人を守ることはできる!」
男子生徒Cは正義の代弁者気取りで、執拗な言葉のナイフを突き立て続ける。
「なら……なら、さっさと私と接触してください、天城さん!」
女子生徒Bが悲壮な決意とともにリョウへ手を差し出した。
しかし、リョウは動かない。
ただ黙って彼女たちを見下ろしている。
「何とか言ったらどうなんです、学園の王? 全てが図星だから何も言い返せないんですね! 所詮は学園の王とはいえ、その程度! これで僕たち医療陣営が勝って、この不条理なゲームは完全終了さ! あはは!」
有頂天になった男子生徒Cの嘲笑が教室に響き渡る。
だが、その傲慢な笑い声を切り裂くように、小さな、しかし芯のある声が上がった。
「……ち、違います」
口を開いたのは、それまで怯えていたはずの女子生徒Aだった。
「天城さんは、ゾンビじゃありません」
「はぁ? 何言っちゃってんの君。大馬鹿だね」
男子生徒Cは心底呆れたように大袈裟に肩をすくめた。
「女子生徒A……!」
女子生徒Bが不安そうに親友の肩へ手を置く。
「お願い……今だけは私の言うことを聞いて。あなたはまだ助かる可能性があるの。だから学園の王を信じちゃ――」
「……違うの、美咲ちゃん」
小さな、しかし拒絶の籠もった声。
女子生徒Bが驚きに目を見開く。
女子生徒Aは全身を小刻みに震わせながらも、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、強い光が宿っていた。
「男子生徒Cさんの言っていること、ロジックとしては全部正しいと思います。感染者数の推移も、接触した相手も……。多分、推理だって合ってる」
「なら――」
「でも!」
女子生徒Aが声を張り上げる。
男子生徒Cが不快そうに眉を顰めた。
「男子生徒Cさん。あなたはさっきからずっと、自分が絶対に正しいっていう言い方しかしないじゃないですか……!」
「……何だと?」
「『こうするべきだ』とか、『君はもう負けるんだから僕の言う通りにしろ』とか……!」
「はぁ?」
「自分が正しいって端から決めつけて、そうやって言葉巧みに、他人を自分の思い通りに従わせようとしているだけです……!」
「っ……!」
男子生徒Cの表情がプライドを傷つけられて醜く歪む。
「違う! 僕はただ、論理的かつ合理的に立ち回りを提案して――」
「合理的でも、嫌なものは嫌です!」
女子生徒Aは涙目になりながら、自らの心を叫びにした。
「私は……私は、誰かの言いなりになるんじゃなくて、自分で決めたい……!」
そのあまりにも純粋な意志の力に、男子生徒Cは完全に絶句した。
女子生徒Bもまた、困惑したまま親友の横顔を見つめることしかできない。
「女子生徒A……。でも、もし天城さんが本当にゾンビだったら……このゲームで負けるかもしれないんだよ?」
「分からない」
女子生徒Aは静かに首を振った。
「本当はもう、誰の言ってることが正解なのか、私には分からない。だけど……」
彼女はゆっくりと、佇むリョウを見つめた。
「天城さんは、無理に私を従わせようとはしなかった。自分の陣営を押し付けたり、命令したりもしなかった」
「……」
リョウは何も言わず、ただ静かに彼女の視線を受け止めている。
「怖かったです。学園の王っていう肩書きだけで威圧感があるし、何を考えているのか全然分からないし……。でも」
女子生徒Aは小さく深呼吸をし、胸の前に拳を握りしめた。
「……あそこで神様みたいに威張っている男子生徒Cさんよりは、私は天城さんを信じたい」
女子生徒Bの顔から、一気に血の気が引いていく。
「ま、待て! 待ってくれ!」
男子生徒Cが、余裕を失った濁った声を荒らげた。
「君、自分がどれほど愚かなことを言っているか分かっているのか!? その男はゾンビなんだぞ!?」
「かもしれません」
女子生徒Aは、驚くほど冷静に答えた。
「でも、違うかもしれない。だったら私は、他人の指図じゃなくて、自分の意志で選びます」
そう言って――女子生徒Aは、震える右手をゆっくりとリョウの前へ差し出した。
「やめて――!!」
女子生徒Bが咄嗟にその腕を掴もうと手を伸ばす。
男子生徒Cもまた、自らの勝利の盤面が崩れる恐怖から絶叫した。
「君は騙されているんだ! そいつの口車に、その静けさに騙されているんだよ!!」
だが、女子生徒Aが振り返ることはなかった。
「ごめんね、美咲ちゃん。……でも私は、最後くらい、自分で決めて終わりたいの」
少女の確固たる覚悟に応えるように、リョウが静かにポケットから右手を引き抜き、差し出した。
そして――二人の手が、しっかりと結ばれた。
『――接触完了――』
無慈悲な電子音が、非情な決定事項を告げる。
女子生徒Bの顔が絶望に染まり、その場にへたり込む。
男子生徒Cは、自らの完璧なロジックが「一人の少女の感情」という不確定要素によって粉々に砕かれた現実に、唖然としたまま立ち尽くしていた。
そんな二人を余所に、リョウは女子生徒Aの手をそっと離し、満足げに静かに目を閉じた。
「……そうか」
短く、ただそれだけを呟く。
だが――絶望する二人にも、涙を浮かべる少女にも見えない絶妙な角度で。
学園の王は、その端正な口角を、狂おしいほど怪しく吊り上げていた。
こうして、すべての思惑が絡み合った第四ターンもまた、静かに幕を閉じた。
第四ターンの終了を告げる長いブザーが鳴り響き、プロジェクターの光がすぐさま「最終結果」を映し出す。
その文字を見た瞬間、教室の空気が完全に凍りついた。
【最終結果:感染者数 5】
「ご……5人だと……!? 馬鹿な、そんなはずがあるか!」
男子生徒Cが、裏返った悲鳴のような声を上げた。
「5」という数字――それは、ゾンビ陣営と狂人を除く、この場にいた一般人陣営の『全員』が残さず感染したことを意味していた。
画面の文字が冷酷に切り替わる。
【最終結果により、ゾンビ陣営、および狂人の勝利です】
「ど、どういうことだ……!? 計算が合わない! 何故だ!」
狂ったように頭を掻きむしり、目を見開く男子生徒C。
その目の前に、カツ、カツと小気味よい足音を響かせながら、脱落したはずのセイカが歩み寄ってきた。
「あはははは! あなたって本当に、救いようのないお馬鹿さんね!」
「なんだと……っ!」
「あなたがさっきのインターバルで得意げに語っていた推理だけど、何から何まで的外れよ! あなた、このゲームにおいて最も重要な要素を一つ、完全に見落としているわ」
「見落とし……? どこをだ!」
なおも食い下がる男子生徒Cを、セイカは哀れむような目で見下ろし、フッと唇を歪めた。
「『潜伏感染』よ。あなたは第3ターンの結果を都合よく誤認していたの。感染者数が『2人』と表示されたことで、あの時点で男子生徒B君が感染したと思い込んでいた。だから最終ターンで天城君が誰か一人を感染させたところで、勝利条件の4人には届かないと高を括っていた……でしょう?」
「それが論理的な帰結のはずだ!」
「いいえ。実際は違うわ。第2ターンの時点で、私も『潜伏感染』を使って女子生徒Cさんを感染させていたのよ。だから第3ターンの段階で、表示上の感染者数は『2人』になっていた。つまり――」
セイカは男子生徒Cの胸元を指差し、残酷な現実を突きつける。
「あの時点で、すでに3人の感染が確定していたのよ。そこにさっき、天城君が女子生徒Aさんを直接感染させた。これで4人。ゾンビ陣営の勝利条件は満たされたわ」
「……まさか……じゃあ、あとの1人は……? 5人なんて数字、どう考えてもおかしいだろ!」
絶望的な計算のズレに狂いそうになる男子生徒C。
そこへ、影のようにダイチが近づき、彼の耳元で楽しげに囁いた。
「最後の一人は、僕が仕留めたのさ。手持ちの『感染薬』を使ってね」
「嘘だ……。意味が分からない、狂ってる……」
男子生徒Cは膝から崩れ落ち、頭を抱えた。
「いやぁ、女子生徒Dを落とすのには一苦労したよ。あの猜疑心の塊を崩すのは骨が折れた。だけど、最後は僕の勝ち。感染薬をここまで使わずに温存しておいた甲斐があったよ~。うへへ、うへへへへ!」
不気味に肩を揺らして笑うダイチの狂気に、男子生徒Cは蛇に睨まれた蛙のように怯えることしかできなかった。
無慈悲にも、プロジェクターの画面が淡々とスコアを弾き出していく。
【ゲーム結果・SSP変動一覧】
勝者陣営:SSP +1000pt
敗北者:SSP -800pt
失格者:SSP -1000pt
※獲得・減少したSSPは即時反映されます。
ゲーム終了です。お疲れさまでした。
その文字が流れたのを最後に、プロジェクターはぷつりと音を立てて電源が切れた。
無機質な機械の死が、ゲームの完全な終わりを告げていた。
「ごめんね、美咲ちゃん……」
静寂の中、女子生徒A――咲良の瞳から涙が溢れ落ちた。
「私、あなたのこと信じてた。でも、最後だけは……誰かの指示じゃなくて、自分の意志で動きたかったの」
罪悪感に押しつぶされそうな咲良を、女子生徒B――美咲は優しく抱きしめた。
「……良いのよ、咲良。あなたが誰の言いなりにもならず、自分の意志で動いた結果だもの。私はそれを責めたりしないわ」
「美咲ちゃん……っ」
「だって、咲良はいつも私に頼ってばかりだったでしょう? だから、あなたが自分で決断した姿が見られて……少し、嬉しかった」
「ありがとう……、ありがとう……!」
「これからもずっと親友よ。私達は、何があっても……」
泣きじゃくる二人の少女から少し離れた場所で、男子生徒Cは未だに床を殴りつけていた。
「……クソっ! 入学初日から、大切なSSPが激減するなんて……っ!」
「あら、いきなり大ピンチね。そんな脆弱な精神で、これからこの学園で生き残れるのかしら? 楽しみに見物してあげるわ」
セイカはお得意の高飛車な笑みを浮かべ、容赦なく敗者を挑発する。
「……SSPを大量に持っているからって、調子に乗りやがって……! いつか覚えてろよ! どんな手を使ってでも、必ず復習してやるからな!」
「望むところよ。精々、私を楽しませて頂戴?」
フンと鼻で笑い、セイカは優雅に踵を返した。
リョウは一連の騒ぎを気にかける様子もなく、スマホを元あった机の上に静かに置くと、誰よりも早く特別教室の扉へと足を向けた。
「面白かったよ、とても」
誰にともなくそう言い残し、学園の王はサッと教室を後にした。
彼の背中には、勝利の驕りも、敗者への憐れみも、何一つ残されていなかった。
それを皮切りに、他の生徒たちも一人、また一人と重い足取りで教室を去っていく。
後に残されたのは、教室の隅にうずくまる男子生徒Aだけだった。
彼は最終結果の画面を見る気力すらなく、未だに一人で声を殺して泣き続けていた。
自分のスマホ画面に表示されているのが、【失格者】ではなく【敗北者】という、僅かにマシな項目であることにも気づかないままに。
そこへ、影が落ちる。ダイチが静かに足音を消して、少年の隣にしゃがみ込んだ。
「いつまで泣いているんだい? 君」
「う……うぅ……っ」
「はぁ……」
ダイチは深くため息をつくと、優しく、しかし拒絶を許さない力強さで男子生徒Aの肩に手を回した。
「僕が『慈悲』で、君を失格の危機から救ってあげたっていうのにさ」
「……え?」
「お陰で君は、初日から退学になるのを免れたんだよ? 減点はされたけどね。少しは僕に感謝してほしいものだな」
「……」
少年は言葉を失い、ただ涙の溜まった目でダイチを見つめる。
「まぁ、いいよ。僕はもう行くから」
ダイチはあっさりと手を離し、立ち上がった。
その背中に、男子生徒Aは震える声を振り絞って呼びかける。
「あの……っ!」
「何?」
「あ……ありがとうございました……っ」
その言葉を聞いた瞬間、ダイチの動きがピタリと止まり、無言になった。
「僕には……、僕には最初から、人権なんて……従う選択肢しかなかったんですよね……?」
自嘲気味に呟く少年に、ダイチはゆっくりと振り返った。
その瞳には、先ほどまでの「慈悲」の欠片も残っていない。
心底ゴミを見るような、冷酷な眼差しだった。
「何言ってんの?」
吐き捨てるような声。
「僕さ、君みたいにいつまでもウジウジウジウジしてる人間って、本当に大嫌いなんだよね。だから――金輪際、僕に関わらないで。視界に入らないでよ」
突き放すような冷たい言葉を残し、ダイチは男子生徒Aを一瞥もせず、今度こそ教室を去っていった。
静まり返った廊下に出ると、ダイチは自分の両手を見つめ、小さく首を傾げる。
「……ちょっと、強く言い過ぎちゃったかな? まぁいいか。あの子はもう使えないし……」
ダイチはすぐに切り替えるように不敵な笑みを浮かべ、誰もいない廊下を歩き出す。
「さぁて、次の『新しいおもちゃ』を見つけないとなぁ……。この退屈な学園に、僕にふさわしい従順な人が、まだ残っているといいんだけど?」
弾むような足取りで、狂った少年の足音は闇へと消えていった。


